くろごまさんぽ

くろごまは躁うつと上手くお付き合いしたいのです。躁うつ病の日常ブログ。

家事が出来ない。

おはようございます。
今朝は中途覚醒早朝覚醒をした割には目覚めのよい朝です。
夜間警備wを終えて帰ってきた愛猫を起こさぬよう、掃除をする事が出来ました。

発病し寝たきりを経て一年は実家にお世話になっていたので、家事の心配はありませんでしたが、帰宅してからは家事に途方に暮れてました。

まず、段取りが出来なくなっていました。
10分で出来ていた事が、30分はかかる。
洗い物は顕著でした。
水切りするのに最適な順番で洗い、流しを掃除し、食器を拭き上げ仕舞う。
こんな単純な事が、どこから手を付けていいかわからない。

食材の買い出しに1時間はかかるようになりました。
献立を考え、特売品を見比べながら数日分の食材を買う。
それが出来ない。
当時はすき焼きの材料を買うのだけでもまごまごしました。

あと、同時進行が出来なくなりました。
料理が一品ずつしか作れない。
それも時間は何倍もかかる…。
以前のように晩ご飯を用意するのに、2時間3時間かかっていました。
なので、以前のような品数を作る事を早々に諦めました。

出来ない事は仕方ない。
お惣菜は嫌いだったけど、今では大活躍。
買い物はネットスーパーでカゴを見ながら買う。
洗い物は食洗機を最大活用。
掃除機を出すのが面倒なら、箒やワイパーで済ます。
洗濯干しは乾燥機。

相方にはぐーたらだと言われましたが、手伝わないなら文句を言うな!と(心の中で)。

ここまで色々な拘りを諦めるまでに半年はかかりました。
多少の余分なお金はかかるけど、悩まず快適に過ごせる時間を買っていると割り切りました。

私の生活の優先順位は仕事が上にきます。
だから、それを継続するためには何かを諦めなければならない。
諦めるまでは、自己嫌悪を襲われ出来ない自分を責めたけど、やっとそれを乗り越えられたから楽になれました。
本当は相方さんにも協力してもらいたかったけど…一部無理な事は無理なようなので、これも諦めw。

やっと落ち着いて生活が回り始められたのは、仕事を休んでいるから。
復職するまでに、またもうひとつ壁を乗り越えなきゃいけないだろうなぁ。







火花読了。

久しぶりに本を読了できました。
又吉直樹の、火花。

ネタバレはしませんが、その満足感から新鮮なうちの感想を書きたくて。
これから読もうとする方は、これからの感想を読むかをお任せします。





良くも悪くも、古典を引く純文学。
読むというより、言葉を紡ぐ彼を眺め見る感じでした。
又吉という、鬱々とした陰を持つ筆者だからこそ主人公に投影する表現。
ずるいよね、筆者又吉の性格をメディアで公開されているが故、読み手の私には余計に理解が深まってしまいました。

書き出しと書き終わりには物足りなさを感じるけど、あの表現を繰り返される本編を一気に読めたというのは共感出来たから故。
心の内を表現するのが不器用な主人公を、自分ではどうなんだろう?と考えながら読み進める、不思議な感覚を覚えながら読み終えました。

ただ、大衆向けかと言われると、賛否が分かれるだろうなぁ。
偏った作品な気がするし、読み終えた本達がフリマに出品されてるのを思うと、二手に分かれる作品なのかもしれません。

でも、私は、好きな作品です。
荒削りと言った評論家がいたけど、私も同じ感想。
次回作も、彼のブレない目線で書いて欲しい。

これは蛇足かもしれないけど…鬱傾向を持ちコミュニケーション能力に悩む人は共感出来る箇所があると思いました。
協調する生き方を、明暗を行ったり来たりしながら悩む主人公の姿は、いくつかの気付きをくれるかもしれません。
躁の時より、鬱の時に読める本。
そんな気がします。



風通しの悪い会社。

2年くらい前、私は寛解に近い状態で、転職活動が出来ました。
転職といってもブランクが半年ありました。
周りの助けと運に恵まれ、クローズで今の会社に在籍することが出来ました。

鬱や躁うつのきっかけは前職だったため、前職では人事や産業医保健師さんにはかなりお世話になり、結果退職をしましたが当時の事は有難かったと思っています。

前職は、某IT関連だったので、同じように精神疾患の方が常に何人もいらっしゃいました。
人事付のメンタルグループが出来るくらいでした。
それ位、ITの仕事は人間の身体に悪いんだと思います。

その時は、月に一度はグループマネージャーや産業医と面談があり、自分の状態や復職への相談が出来ていました。

今の会社は、前職と同じ業界の同じ規模なのですが、色々と勝手が違う。
仕方ないんですけどね。
今の直属の上司のマネージャーとの面談も、会社はよく思わない。
産業医保健師に任せてればいいというスタンス。
でも、人と人ですもん、どちらとも合わない私にはどうしたらいいのだ??
特に、保健師は冷たく感じます。
多分、結局メンタルの人の気持ちなんて、会社には分からないんだろうな。
そりゃそうですよね。

会社には多くを期待せず、自分一番で勤めるんだと、前職の苦い経験よりそう考えてます。
会社からしたら厄介な存在になってるかもしれませんが、知ったこっちゃない。
会社が与えてくれる事と、会社に奪われる事。
そのバランスは、与えてくれる事のほうに傾くよう、最大限利用するつもりです。
勿論、仕事はきちんと果たします。
そこは勘違いしないよう…権利と義務をはき違える人の多い世の中ですから、私もそうならないように気をつけなきゃね。

恐らく、来月からデイケア通い。
復職は季節が変わる頃になるでしょう。
実りある、デイケア通いになるようにかんがえておかなきゃな。


27時間テレビ。

私はナイナイ岡村隆史を見守ってます。
恐らく、同じように病気への戸惑いの気持ちを味わい、不調を経て第一線へ返り咲いたから。
同世代なので、彼の芸人人生をずっとテレビで見て来ていた分、ずっと若い頃からの彼の生真面目さを見てきたから。

今回の27時間テレビの岡村の60分ダンスが楽しみでした。
夏休みの土日という一番のゴールデンタイムの目玉企画とされた重圧…計り知れないだろうな。
笑いを生業としているから、特技のダンスを取り上げられたからとしても、45歳であれはキツいわ。
何に対しても真面目だから、ライザップの減量もトレーニングも、よくやったよなと思う。
きっと彼は常に病気の再発を考える時がある気がします。
でも、掻き消してるかもしれないな。

岡村は、笑いの天才じゃないと思う。
努力の凡人だ。
27時間テレビが、フジテレビがつまらないのは、会社側の問題だと思ってます。

プレッシャーを背負って、気力を擦り減らして。
でも、彼にとって好きな仕事だからね。
仕事、だから。

勿論、仕事だから何をも犠牲にするのは間違いだと思う。
でもね、好きな仕事を本気でやってるなら最後までやれよ!と思う場面がこの番組では多々あった。
たんぽぽ川村が最高のタイミングを用意されてたのにバンジーで飛び降りなかった。
大久保佳代子がマラソンでズルをした。
この番組、全然本気ではなかったね。
本気度なら裏番組のイモトのほうが何十倍も本気だ。

私がそれでも観てしまったのは、岡村がいたから、かな。
同世代、同じ病気を経験したひとりとして、応援したい。






理解者。

うつ病と診断された時、私の変化に一番に気付いたのは母でした。
母は兄弟をうつ病の末自殺で亡くしているので、私の診断にかなりショックを受けたようでした。
寝込む私はすぐ実家に召喚され、そこから一年の療養に入りました。

最初の3ヶ月はひたすら寝る→朝起こされる→縁側で一日中庭を見て猫と過ごす→食事と風呂時々昼寝な、廃人の生活でした。
起き上がれるようになると、異常なほどの執着で趣味に没頭しました。
お金も沢山使った。
ただ、過去に金融機関で働いていたせいか、金銭管理はギリギリの所で出来ていたのが不幸中の幸いでした。

両親はそんな私の変化を日々刻々と見つめ、痩せていく私に手料理と生活の世話をしてくれました。
当時は相方:いりごまさんと別居していたため、本当にこれが助かった。
放置され1人で暮らしていたら、あの時死んでいたかもしれない。
こうして、一年かけて私は寝たきりの生活から何とか復職までこぎつけることが出来ました。
…といっても、結局その仕事は退職せざるを得なかったけれど。

うつ病から躁うつ病に診断変更がされたのも、両親にはかなりのインパクトだったようです。
イメージ悪いからね、世間からしてみたら。
しかし、なってしまったものは仕方ない。
相方よりも何倍も病気に理解を示してくれる両親には、出来るだけ平易な言葉で理解をしてもらえるよう、努力をしました。
薬ひとつの効能から、私の行動パターンの理由や病気からの裏付けまで、沢山説明をしました。
今では私にとって両親は病気の一番の理解者となってくれ、本当にありがたいです。

その両親に対し、ひとつだけ決めていること。
自死はしないことです。
叔父の自殺は、遺された親族へのインパクトは計り知れなかった。
様々な理由もあり、その一番のインパクトを幼少の頃受けたのは私でした。
信じられないけど、叔父が私の枕元に立ち、後は頼むとか言ってたしw
マジ勘弁でした。
でも今は何とかなった、気がする。

因みに、水死はお勧めしません。
人里離れた場所で入水→発見までは、意外と日数がかかります。
発見の頃にはミシュランのキャラクターのようになり、常人の遺族には見られない状態だと、父は申しておりました。
父は、叔父の遺族代表として身元確認をしたので。
そんな最期を周りへの記憶に遺させたくないですからね。

サイレースの眠気にとどめの一杯。
3倍濃い、カフェオレを投入が日課。
でも、睡眠時間2時間だ…今日も昼寝をしてしまいそうです。








デイケア。

私は今、仕事を休職しています。
転職して一年半目にして、これです。
ここに至るまでにも、突発で休む事も多々あり、自分でも情けなく思う…。

基本、仕事が好き。
仕事を頑張る自分も好き。
自分のアウトプットが喜ばれるのも好き。
ワークホリックというのかもしれませんが、仕事は自分のひとつの居場所なのです。

そこに戻るために、課せられた試練?が出来ました。
病院併設の、デイケアでのリワーク通いです。
昔も一度、デイケア通いを試みましたが、その時は挫折してしまいました。
今回はどうなることやら…。

その時挫折した理由は、毎朝一時間余りかけて通う目的が見出せなかったからでした。
デイケアとは、職場復帰や生活リズムを取り戻すために通い、個々の目的に応じた作業や自習をプログラムに応じて行います。
その時の私は、午前中は自習、午後は手芸や工作、認知行動療法の受講といった感じでした。
そして一日一回、一時間の散歩があります。
時には映画を観るというプログラムもありました。

その時は構成メンバーが悪かった。
基本的には入院には至らないレベルの人が病院の診療対象なのですが、そのギリギリの人達もデイケアの同じプログラムを兼ねていたために「引っぱりあい」が起きました。
それは、負の方へ、です。
メンバーの中には、”プチ鬱”もいれば、”リスカ常習者”、”重度鬱”、”新型うつ”もいました。
あくまで、私の見解でしたが。
周りとのコミュニケーションもひとつのリワークなので接するのですが、人って弱いもので、楽な生き方と見える方へ流れてしまいます。
会話をしているうちに、何で私はこんなに頑張って仕事をして病気にまでなってこの環境にいるんだろう?という、基本的な疑問が湧き上がるようになってしまい、ここにいる自分に嫌気がさし、通わなくなってしまいました。

勿論、悪いことばかりではありませんでした。
その中でも自分と程度の近い「良き理解者」にも出会え、お互いの情報を交換し、ありがちな孤独感を埋め合う事が出来ました。
薬の情報、症状が出た時の過ごし方、職場環境や会社の対応、手帳や年金の情報、などなど。
時にはデイケア後にお茶をしながら話したりして、人と話す習慣を戻す訓練にもなりました。

今日の主治医との話だと、クラス分けレベル分けが少し変えられたようで、以前のようなごちゃ混ぜプログラムが減ったようで安心しました。
どの病気や症状が悪いとは思いません。
みんな、それぞれ、もがき苦しんでるから。
でも自分に合った環境に身を置くのは大切だと思うからです。
まだ今の私には、人の負のオーラを跳ね除けたり客観的に受け止めることが出来ないだけです。

来週は、上司面談、人事面談、デイケア入所面談です。
少し、前へ進めたかな?
それだといいな。





トラウマ。

私にはトラウマが3つある。

ひとつは、父親からのしつけの折檻の記憶。
幼い頃、私は本当にやんちゃだったらしい。
父親は昔は短気ですぐ何かに当たる性格で、私はよく逆鱗に触れていました。
相手が女でも容赦なく手を上げられたスパルタ。
記憶には無いけれど、殴られて痣を作った事もあったらしいし、記憶に残ってるのはカーペットの廊下を上半身裸で引きずられたこと。
摩擦係数MAXなカーペットだったから、今でもその熱さは覚えてる。
それがあって、男性に怒鳴られるのが苦手でした。
自分に非が無くても、言い分があっても黙り込んで萎縮してしまいます。

ふたつめは、レイプ未遂。
子供の頃に連れ去られそうになった。

こんな事があったから、乱暴な言動の男性は許せない。
強姦殺人なんて、犯人は刑務所のムキムキホモの中に放り入れた後に公開処刑にすればいいと本気で思います。

みっつめ。
病気になってからのトラウマです。
私が躁うつを発症したきっかけのひとつに、とある女性達がいました。
所謂、大人のイジメです。
私が仕事で初めて部下を持った時、それが気に入らないこの派遣女性達のイジメに遭いました。
無視や業務放棄など、平和な世界で育ってきた私には理解できない事が山盛り。
はっきり言ってレベルの低い女共。
今ならそう思えるけど、当時はなかなかそうは思えず、自分を犠牲にしました。

今日、通院の待合室で、その中の一人に面影そっくりな女性がいました。
いい年こいてパッツン前髪(いい年だから若作りなんでしょうが)、浅黒く細い姿。
そして、皆が待たされている中でも受付に待ち時間について文句をたれる身勝手さ。
何だか記憶が蘇ってしまい、イライラ最高潮となってしまった…。
私は丁度呼ばれたので、受付で文句垂れてる後ろに並び、聞こえるように舌打ちしてしまいました。
受付の女性は気付いたみたいで、??って顔になってたけど、私はすぐ笑顔で受付に立ったので何も無く事を済ませました。

いかんいかん、生き様は顔に出るよね。
自分は同類になっちゃいけない。
40半ばで母親に弁当を用意してもらい、給料はバンドのおっかけと外国人の彼に費やしてる人なんかにはなりたくないw

ああ、今日はマイナス要素を吐き出してしまいました。
でも、ちょっとスッキリ。