くろごまさんぽ

くろごまは躁うつと上手くお付き合いしたいのです。躁うつ病の日常ブログ。

イニシアチブの握り方。

今日は、とある躁うつの友人の相談話で伝えた内容と、ちょっと前から思っていたことをまとめて文章にしてみようと思います。

 

年齢世代問わず、集団はもちろんのこと、友人内ででも大小あれど優劣?上下?力?関係がある気がします。

何かしらで、イニシアチブ(主導権)を握っているキーマンがいたのは、誰にでも心当たりがあるのではないでしょうか。

 

例えば幼少時代なら、誰よりも足が速いとか、ドッジボールが強いとか、計算が速いとか、絵が上手とか、人を笑わせられるとか、こんなことが一目置かれていたと思います。

一目置かれることで、活躍の場が来た時にはその子に光が当たる。

日に当たる機会があれば、そのひと時はイニシアチブを握り何かの中心を味わうことが出来る。

そんな経験、自分にもあったかを振り返っていました。

 

記憶を辿っていくと、私は小学校時代はあまり目立つ方ではなく、その時の仲良しグループの中ではおとなしい方でした。

早生まれのために運動では苦労し、体育は苦手。

だからか、からかわれて泣かされることもよくありました。

子供の頃って、運動神経の良い子に人気が集まるんだよなぁ。

なので、小学校時代は私はあまりイニシアチブを握る機会がありませんでした。

というか、無縁な言葉でした…のはず。

 

中学に入り、仲良しグループ関係はそのまま続いたけれど、ちょっとずつ変化が出てきました。

私は運動ではパッとしなかったけれど負けず嫌いだったので勉強を頑張り、成績はそこそこを維持していました。

仲良しグループ内の半分はヤンキーwになり、でも仲は良かった。

だからか、私はインテリヤンキーのような位置づけになっていました。

(私は目標の学校があったので、そのために率先して部活や学級委員や生徒会をやって内申を稼いでいたからかもしれません)。

ここからの人生は、いろんな場面でイニシアチブを握る機会に出会うことになります。

そして何かを率先することを、ここで自然と?努力もして?覚えたみたいです。

ヤンキー仲間とマジメ仲間を渡り歩く中で、自分がその場の中で”空気”になってしまえば、どちらかに流されてしまう。

そしてどちらでも中途半端な位置となってしまう。

中途半端は一番楽しくないし、偏るのは好きじゃない。

どちらの生き方も楽しくて好きだったので(でも親を泣かすようなことはしてないです汗)、どちらの仲間での中にも、私が存在する位置を作るようにしていました。

自分らしく生きるため、だったんでしょう。

 

存在位置を作るというのは、何でもいいからその集まりの中に自分がイニシアチブを握れる何かを作るということだと思います。

存在意義、ともいうかもしれません。

それを得るために、その集まりの中に必要な貢献を少しでもすることが、まずひとつの努力かな。

例に出すとすれば…友達同士でBBQをやるとします。

私だったら、ただ誘われただけとしても、何か自分の存在位置を作ることを考えてしまいます。

プラスαのアイディアのおつまみやデザートを差し入れるとか、皆で簡単に遊べるツールを持っていくとか。

その集まりが盛り上がったり楽しい思い出の中に、自分の貢献が残るようにすることをします。

まぁ…人によっては私のその姿をあざといとか計算高いとか思うかもしれませんが、でも結果思い出の中に自分の存在も残れば、皆も楽しかったということでWin-Winだと思うんですけどね。

そうすることで、その仲間の一員となり、次回があればまた目的(BBQ)の中のイニシアチブの何かを持つことが出来るようになると思います。

 

ちなみに、先述のヤンキーとマジメ仲間の中での私が持ったイニシアチブは、お互いを結ぶ架け橋になったことでした。

ヤンキーだって、マジメに勉強しないといけない時があれば、手伝ったり。

マジメだって、たまにははっちゃけた遊びや笑いが欲しい時には、それを率先して楽しませたり。

そんなこんなで、何とかうまくやってこれたと思います。

 

イニシアチブを握るのは、面倒なことも多いです。

余計な気を遣うし、人の目も気になる。

私が躁うつになるまでの準備期間の途中、イニシアチブを握らされたことがありました。

それは主にインフォーマルの集まり(レクレーションとか)の幹事でしたが、苦痛でしかありませんでした。

タイミングも悪かったんですけどね。

結果、病気の進行を進めてしまいました。

これを元に、握らされるなら自分から都合のいい部分だけ先に握りに行こうと考えるようになりました。

そうすれば、消極的とは取られないから印象も悪くない。

 

少し面倒なのは確かですが、コツさえ掴んで慣れてしまえば、自分のペースや意見、都合を含めて色々と推し進めることも可能です。

そして、それが自分のキャラクターとして出来てしまえばこっちのもの。

自分から立ち振る舞いやすい、話しやすい、そんなキャラクターが出来ればどんな空気の中でも、こいつはこういう奴だよね(笑)という印象になる。

もちろん、好意的な印象になるには、集団に対して貢献する気持ちがないとただの空気の読めないワガママになってしまいますので注意ですが…。

 

うーん、伝えたいまとめたいことがうまく表現できていない気もしますが…。

誰にだって、ちょっとだけでも、人より得意であったり気づきがあって先回りできたりすること、あると思うんですよね。

それに自分で気づけることによって、生きやすい選択肢がちょっとだけ増えるんじゃないかな、と。

ただでさえ立ち回りが下手な病気なので、ちょっとの負担軽減は大きい。

工夫して、上手に生きられたらいいなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生活立て直し。

私がうつ病躁うつ病を経て通ずる事の一つに、生活内容の酷さがあります。

料理が出来ない。
片付けられない。
何もやりたくない。

一番顕著なのは、片付けられない事です。
最も酷い状況を例えるなら、バラエティー番組でタレントが汚部屋を掃除する企画に出てくる、あの部屋の様でした…orz
埃が溜まっていても気にならないというか、気にしない様にするというか、そんな事はどうでもいいのです。
自分が寝る場所さえあれば。

それでも一応は物の在り処を知ってはいたので本人は困っていないけれど、相方のいりごまさんを始め家族は困っていたというか手に負えない感じでした。
見かねた母親が片付けを手伝いに来てはくれても、すぐに元に戻ってしまいます。
それは、私が体調のいい時やプチ躁の時にあれもこれもやろうとしてダウンし、また寝込むからでした。
元気な時を想像して自分に期待し、ネットショッピングで買うお出かけ服や趣味のツールなどの段ボールが山に積まれ、開封出来ないまま放置されていたり、今日は身体が動く!と思って料理を始めても片付けまで至らなかったり…。

一度、収納アドバイザーを呼んで断捨離を試みましたが、敢え無く失敗。
16000円×2回分を無駄にしました。
試みるタイミングを見誤ったのかもしれませんが。

しかし、今回の断捨離は上手くいきそうです。
躁うつが若干躁で安定しつつある今というのもありますが、プチ躁の時の自分の思い切りと行動力を見越して、まず自分だけの部屋を作ると決めました。
これならここをどんな風に使っても誰にも迷惑を掛けず、思い切った趣味の部屋をも作れるからでした。
…家庭内別居になるけど(笑)。
その為に、納戸となっていた部屋を片付け。
ゴミ袋にして40袋くらい出ました…どれだけ無駄に囲まれてたんでしょうね。
物を捨て、捨て、捨て、次に清潔で整然とした部屋にするための道具や家具を買い揃えました。
躁寄りの時は買い物が楽しくて仕方なく、頭も冴えている感じなので、少し奮発しても必ず自分の趣味に合うものをネットで探し(買い物に出る気力まではないので)、お気に入りの物だけに囲まれる=綺麗に保ちたくなるように自分に仕向ける作戦です。

結果としては、まずまず成功かな。
ほぼ作業が終わり1ヶ月くらいですが、この部屋を汚したくない!と思えるプチリフォームが出来ました。Yeah!
後はもう少し、鬱が到来した時にも何とか維持出来るような楽な生活動線と収納方法を考えます。
もう、汚部屋の澱んだ空気に引っ張られないませんように…。






躁うつと保険。

これって、結構悩みの種ですよね。

私は現在、傷害保険(骨折など、けがの保障)、がん保険に入っています。

躁うつ病に入る前から入っていた医療保険・生命保険は、前職の会社の団体保険だったため、退職とともに解約されてしまいました。

その後、医療・生命保険に関しては加入に伴う不便を色々と感じています。

 

疾病中に更新のあった、ゆうちょの保険付の積立貯金?は告知で引っかかり更新出来ませんでした。

前職と同じ団体保険加入の現職に転職出来た際も、告知項目により再加入がダメでした。

 

一般的な医療・生命保険は告知義務が厳しく、躁うつ病で通院歴投薬歴がある時点で加入が難しいです。

最終受診日から3~5年後でないと加入出来ないからです。

躁うつの時点で、完治という終わりは限りなく無い訳で…。

ですので、一般的な保険料の安い商品には加入出来ないです。

そこで選択肢に上がるのは「緩和型」と呼ばれる商品分類になります。

数項目の告知義務内容を満たしていれば加入可能です。

恐らく、緩和型しか躁うつの方は加入が難しいと思われます。

 

保険は年齢と性別によって掛け金が変わります。

ですからここで一律にいくらとは言えないのですが、私の場合はだいたい3000~5000円前後の月掛金でした。

安心料といえど、結構な負担になりますね。

 

保険比較会社に勤務でファイナンシャルプランナーの友人に比較を頼んでみました。

どうやら、CMでよく耳にする会社の商品も加入が可能なものがあるようでした。

しかし、プロ曰く、「自分が何の保障を受けたいかの明確化と、貯金と掛金のバランスで加入を勧めるかどうか決める」との事でした。

たとえば。

「入院保障が欲しい」

 現在、日帰り入院や短期間入院が主なので、長期入院についてはあまり想定しなくてもよいのでは?とのこと。もっと入院したくても放り出されるんでしょうね(苦笑。

 告知済みの病気が精神疾患であれば、その病気での入院保障があるかは確認しないといけないと思います。

「貯金と掛金のバランス」

 貯蓄が心もとない場合、保険に加入して備えるというのが本来の目的に叶うのかもしれませんが、もしかしたら掛金を払い続けることによって入院費を上回る掛金を払ってしまうかもしれません。

 健康保険で自己負担は3割、その3割を想定して掛金とのバランスを考えたほうがいいと思います。

 

じゃぁ結果、私はどうしたのかというと…。

1年、某保険会社の緩和型保険(年間掛金は2.5万くらい)に入りましたが、止めました。

がん以外で必要な先進医療保障は欲しかったけど、そこまで自分に執着していないので、まぁいっかと(汗。

私にはまだ守るべきものが無いので、周りに迷惑をかけない葬儀代等だけ残しておこうと決めました。

…かなり後ろ向きな決断かもしれませんが、これも一つの覚悟ですからね。

 

ここまで勝手な意見ばかり書いていますが、ご心配な方は心配の種を一つでも減らすよう、保険のなんちゃらで相談することをお勧めします。

私はそれでひとつ、マイナスの種が減って身軽になりましたので。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

労災。

私が勤めている会社の、その母体となる企業グループは労災に対して本当に厳しい。
それが労働者に対する当たり前の姿なのですが、その中にはなかなか矛盾が多いです。

その母体に守られている社員は、ルールを遵守することで万が一の場合には保障され補償を受けられます。
ルールはその母体の企業活動に伴う全ての下請会社にも適用されるので、全てにおいてかなり厳しい管理をされます。
勿論、その為の教育も受けます。
しかし、保障については、そうではありません。
被災者が属する会社による補償となります。

例えば指を挟んだ、高所から落ちた、骨折した、など大きな災害は下請さんに多いのが実情。
標準化された安全作業以外が多いのと、教育が不十分だから、仕方ないかもしれません。
しかし、発生自体が許されないので、隠し労災が多いと聞きます。
労災が発生した下請は次の仕事が貰えなくなるからです。
昔から、憂うべきことです。

労災は他にもあります。
自殺。

私は、同僚を2人、自殺で失っています。
1人は躁うつ、1人は恐らくうつ病でした。

躁うつの方は、発症した後顕著に出た症状が、浪費。
沢山の借金を遺して亡くなりました。
私達は元請の位置にある会社の為、当時からリハビリ訓練や配置換え、時短勤務など、世間一般では手厚くされていた方だと思います。
彼は躁が強く、しかし人に危害を加えないためにいつも明るく、何故病気なんだろう?と周りから思われていたと思います。
会社からの復帰への後押し、本人の復職への意欲が相まって、私よりも予後が良かったと思われました。
しかし、ある日突然、亡くなりました。
信じられませんでした。
その時、同じ病気だという事が怖くなりました。
それは自分次第だと、周りは言うかもしれませんが、衝動が付きまとう病気だからこそ、本人の中でしか解らない何かがあるのです。

うつ病の方は、下請会社からの協力メンバーでした。
当時所属した組織は大きな変革と成長を遂げており、リーダーポジションが不足していました。
私が力不足なのにリーダーとして働き潰れた同時期に、彼は在籍していました。
私は休職に入っていたので、彼の事は後日聞きましたが、恐らくそのしわ寄せを喰ったのではないかと、今でも悔やまれます。
多くは語れませんが、家庭に恵まれた働き盛りの方。
彼の真面目さと頑張りを知っていただけに…当時の私に力がもう少しあれば、と…。

自殺の労災認定は、かなり厳しいと聞きます。
また、会社は先回りして最低限の労働基準法に則ってのルールを決めている為、余程の逸脱がない限りは認められないでしょう。
更に、下請会社からの派遣なら尚更、会社間の縛りがあるのかもしれませんね…。

勝手な私見ですが…私は会社に飼い殺されなくて良かった。
結局、私はこの会社を去りました。
心残りは沢山あるけれど、離れて良かったかもしれません。
仕事にウエイトを置いた私の信念を一気に引き離した、人生の事件でした。



















継続。

「継続」「細々」「粛々」…。

苦手な言葉達です。
この中でも躁うつ病に付きまとう、物事を一定で継続することは今の私にとって一番難しい。
 
毎日、同じ時間に起きて会社に行く。
当たり前のことだけれど、これが辛い。
幸い、私の仕事はフレックスタイム制の制度があるので前日に申請しておけば10時までに出勤出来ればよいのですが、翌朝いつもと同じ時間に目が覚めてもどうしても起き上がれない事は度々あります。
私にとって一日のうち最大の試練は、朝。
早朝覚醒型なので5時には目が覚めるけれど、そこから起き上がれないと、酷い時には仕事を休む事になります。
この突発的な不調をどうやって防ごうかと手を尽くすのですが、中々難しい…。
そうこうしてると、クローズで働いている私には”よく突然休む頼りにならない奴”というレッテルが貼られます。
仕方ないですよね…。
そして性格上、人に迷惑をかけるのが人一倍堪えるので、それを考えると更に起き上がれなくなるという負のスパイラルが発生してしまいます。
 
今の仕事に就いて、再び不調が出始めて休職の今に至るまでは、騙し騙しに理由を変えては休み、周りに迷惑をかけた分を取り戻すために何倍も集中して仕事をし、周りに気を遣っていました。
この時点で、出勤は出来たとしても仕事のペースを継続出来ていないですね。
 
日常生活だと、入浴という継続。
お恥ずかしいですが、入浴が苦手です。
ただ、面倒で疲れるからと、いつからか思ってしまうようになりました。
引きこもっている時は、結構何日も入浴出来ません。
仕事や人と会う時には相手へ不快な思いをさせないように、必ず入るようにはしています。
ただ入浴出来ない私がこのルールを守ろうとすると、必然的に引きこもるようになりました。
入浴好きの相方:いりごまさんに言わせると、不潔な時点で人として終わってるそうで…。
自覚がある分、何とも言えず(◞‸◟;) 
 
悪習は問題ない?のになぁ。
酒とタバコは継続記録更新中です、ハイ…。
 
打ち上げ花火のような仕事と生活のサイクルを改めるのは、この病気とおさんぽを続けるのには大切な事です。
本当は、悪習をひとつ自分へ許すなら、ひとつ改善をするくらいの少しの厳しさが必要でしょうね。
周りの人と同じ継続を出来ない事は、信頼を失う事にも繋がることが多々あると気付かされてきました。
確かに、出来ていた時の私は、人へ何でこんな事出来ないの?と思う事が沢山あったからなぁ。
それを思うと、今の自分は恥ずかしいし情けないです。
 
< いまの私 >  ±1をいったりきたり。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

おさんぽ開始。

初めまして。
くろごまです。

躁うつ病って、糖尿病のように一生お付き合いする病気と聞いた時が人生で一番ショックだった瞬間でした。
そしてイメージも悪すぎる…。

呆然
病気の知識なんてないから、ひたすら調べる
更に呆然…

なぜ呆然だったかというと、本来の性格だと思っていたからです。
そりゃそうですよね。
子供の頃から明朗活発で時には人をまとめ、人を笑わせるのを楽しく思う、そんな自分。あくまで自分のベースはそこ。時には羽目を外して失敗もしてきた。でも何とか人並みにはやってこれてた。
なのに、ある時より体調を崩してうつ病と診断された前後から、実はこれは病気でしたねと自分の今までも全否定された感じがしました。
このベースが暴走してしまったんですけどね。
今思えば納得の経緯でしたが、当時は主治医の診断に反発心ばかりでした。

診断に至るには、カウンセリングによる自己分析の結果を経てでした。
私は発症以来、何かをトリガーにして、何日も寝込んだり何日も睡眠不足でも平気になります。
まぁこれだけでも躁うつ病優等生のような状態ですよね。
カウンセラー曰く、私は打ち上げ花火型。
ドカンと一発上げるまでは何をも惜しまずひたすら頑張り、結果が出てくるあたりから寝込むのですが、そのスパンが短いそうです。そしてそれは波形を描いているようなので、これは躁うつだねーとSっ気たっぷりのカウンセラーに明るく言われました…(´-ι_-`) 。

幸か不幸か、カウンセラーとは波長が合っていたので、自分の内面を解放していくのに時間があまりかかりませんでした。
だから診断変更まで2年かからず、投薬治療も自分の心構えも早期から取り組めたのは、今でもありがたいなぁと思います。

初回受診日から早や6年。
色んな転機がありましたが、この半年でようやく「病気とさんぽするようなゆるい感覚」を持てるようになりました。
今なら振り返っても寝込まずに済みそうと思い、ここに綴ろうかという次第です。

さて、ロラメットくんに眠りへ誘ってもらいますか。
皆さま、おやすみなさい。