くろごまさんぽ

くろごまは躁うつと上手くお付き合いしたいのです。躁うつ病の日常ブログ。

堂々巡りに自分と向き合う。

今の私は躁の時も鬱の時もあまり外出が好きじゃない。
病気になる前は、色んなお店を巡ったり美味しい物を食べたりと、リア充な日々でした。
流行りの物を見、食べ、人と集まり。。。
そんな私を懐かしく思い、友人に心配をかけないようにFacebookは継続していて、たまにリア充な時があれば書き込みするようにしています。
病気へのささやかな抵抗?といったところでしょうか。

リアルな友人とも疎遠になりがちです。
人と会うときは、軽躁でないと外面な自分を保てず、それなのに軽躁の反動で帰宅すると倒れるように眠ってしまう。
これを治さない限り、会社にも毎日行けないし、人並みの生活が出来ないだろうなぁ。
その為に復職プログラムとしてデイケアにリハビリに行かねばならないのですが、それもままなっていません。
人に囲まれるのが疲れてしまい、そのくせ誰とも話さず本を読んだりしてる自分に嫌気とストレスを感じています。
こんな自分、本来の自分じゃないと認めたくないかのように。

なら、本来の自分とはどんなんだろう?
ひけらかす訳ではないのですが…子供の頃から人の前に立ち、みんなを楽しませ、まとめ役を引き受ける、お調子者、そんなタイプでした。
仕事だって負けずにやって成果を残してきた。
ずっとそれでうまくやってきた。
幸せな事に、周りも認めてくれ、ついてきてくれていたのだと思っています。

そんな自分が自分らしいと思っていたし、好きでした。

なのに、大人になってからの一度のイジメや苦境でこんなに簡単に折れてしまうなんて。

病気になるまでは、そんな他人なんて馬鹿だと思えばいいよ、そう思っていたし、人からの相談にもそう答えて笑い飛ばそうと言っていました。
相談してくれた人は思い悩んでいたはず。
簡単にそう答えてしまっていた自分を後悔しています。
思いやりが足りなかった、と。

そして自信を失ってしまいました。
人と接することへの自信。
もう、昔のように人付き合いをうまく出来ないだろう、そう思います。

幸い、”反射的な”人付き合いはまだ出来そうです。
反射的とは、自分に擦り込まれている人付き合いのパターン化した振る舞い。
こう言われたらこう返す、すると相手は不快に思わないという、職業的な振る舞いだと思っています。
これがまだ残っているようで、最低限の付き合いは出来ているようです。
周りが心配してきていないのが良かった。
私には、人に迷惑や心配をかけるのが一番辛く感じてしまうからです。

反射的な振る舞いは、楽です。
何も考えていなくても、自然と自分から言葉を発しているし、振る舞えている。
でも、これって、過去にプログラムされたものをリロードしてるだけのロボットみたいです。
だから新しい発見や楽しみが現れてこない。
砂を噛むような日々の生活は、これを行っているから、でしょう。

でも、自発力を今の私に求めるのは性急と思います。
焦っちゃいけない。
これまでも焦って失敗ばかりしてきた。
ならいつになったら焦れるのだろう…。
焦れる事って、自然であり幸せな事だったんだなぁと、思います。
不自然過ぎる今からしてみたら。

焦る→失敗する→落ち込む→病状が戻る。
こんな堂々巡り。
どこに私の打開の切り口があるんだろうな。