くろごまさんぽ

くろごまは躁うつと上手くお付き合いしたいのです。躁うつ病の日常ブログ。

反吐が出る。

あくまで私見です。
不快な表現があるのでご注意ください。

TVでは、某偽善チャリティー番組が今年も流れている。
全てが偽善とは思わない。
しかし、番組の売りカットとしているところは意図的な感動とお涙への扇動があると否めない。

100km走ったからどうなの?
タレント追い詰めて人選して、やるしかないじゃないか。
仕事の一環として取り組んでいる彼は真面目だ。
「仕事」なんだから、やるしかない覚悟があるのだろう。
例えば飛び込み営業を一日100件与えられた新人と何ら変わりない。
仕事なんだから、当たり前なのだ。
こなさなければ、次の仕事が与えられないのだから。
そんな事、働く大人は日々晒されている。

聴覚障害者が、打楽器ダンスをしていた。
しかし、聴覚がない人には、音は無い世界が普通。
それを健常者の当たり前という尺度に合わさせてるだけだ。
障害者が失っている五感への挑戦は手放しで拍手したいと思うし、努力は素晴らしいと思う。
しかし、番組の構成が健常者との共生・挑戦を絵図らで表すことであるから、結果は番組と身内の満足にしか映らない。

サポートwのアイドル崩れのギャラをかけて本人達が得る一体感はどれくらい本当に対価に見合っているのだろうか。
それに24時間放送をかける意味があるのか。
そもそも、目的がブレブレのこの番組の一体感って、何だ?

はっきり言って、嫌いだ。
この番組。
もう、時代に合っていないのだ。
いや、目的を履き違えて営利活動する方式が最初から間違っているのだ。

やるなら全てチャリティーでやれ。
企画構成費、出演者ギャラ、スポンサー料、全てをチャリティーで。
そして、毎年収支会計して、使途不明のない明朗会計で。
関わる人の対価は、名誉のみ。
それが嫌ならやるな。

反吐がでるのは、善意という看板を得意げに掲げてるくせに実は一番の目的の金銭面で偽善というところ。
要は印象良く視聴率を稼ぎたいだけやん。
社会に貢献しているんですよ、という偽善仮面をイメージ戦略に使いたいだけやん。

私は「精神」障害者です。
社会的には手続きさえすれば、身体障害者と同じく地下鉄は半額で乗れるし、スマホ代は基本料免除だし、映画は割引で観られる。
そんな恩恵、社会の圧抜きのポーズだと思っている。
某人権団体に差別ガーと叫ばれるから、合わせただけ、みたいな。
女性差別反対ー、みたいなものの延長。
実情は五体満足なだけ、物理的見ため的に健常なだけで、本当に障害ある部分へ差し伸べられる手は本当に少ないのに。

私にはわからない。
足が悪く歩けないのと、毎夜安息して眠れず死にたいと思う日々を送るのと、どちらが大変で、どちらの方が幸せなのか。
いや、「マシ」なのか。
どちらも健常ではないのに、なぜ物理的な障害のみスポットが当たるのだろう。
イコール、皆の目に見えない障害は大した障害ではないと思われているのだろう。

残念ですが、実情ですね。