くろごまさんぽ

くろごまは躁うつと上手くお付き合いしたいのです。躁うつ病の日常ブログ。

感情のコントロール。

喜怒哀楽。
うつを発病してすぐは、すべてを失っていました。
何もない空間にぽつんと置かれている感じ。
無の境地、と言いましょうか。
でも孤独を感じられる程の感性も失っていました。

喜→どうでもいい
怒→取るに足らない
哀→響いてこない
楽→なにそれ?

こんな感じでした。
ただただ、自分が生きているのが申し訳ない。
感情さえ持つのは許されない、優しささえ持つことも出来ない、そんな風に思っていました。

喜。
これは、義務的にポーズを見せることは出来ていました。
普段から私は感謝を沢山伝える性格でしたので、反射的に身体が動いていたのだと思います。
でも「ありがとう」とは反射的に言えても、本当に喜べないのです。

怒。
怒りにパワーを使う程、怒れる事は殆どありませんでした。
全てがどうだっていい。
そうなると、怒りというのは他へのこだわりから生まれる感情なんだろうと思います。

哀。
これが一番厄介でした。
自分に対して悲しい気持ちは溢れているのに、涙は流れない。
でも、誰かが亡くなったり、家族やペットに不調があったりすると、我を忘れて泣けてしまう。
これが一番始めに回復した感情でした。

楽。
ただ日々を惰性で過ごすと、楽しい事なんてありませんでした。

発症し限界を迎えてから3ヶ月は寝たきり。
日々をやり過ごすだけ。
言葉を発するのも何かを考えるのも最低限で、視点は定まらずでした。
食事も砂を噛むような味覚しかなく、タバコと水分を補給するだけでしたので、どんどん痩せていく。
そんな毎日でした。

そんな私に感情が初めて戻ったのは、病床に伏せっていた義父が亡くなったところからでした。
記憶を辿ることさえ出来ていなかったのが、義父との思い出や感謝が一気に溢れてきました。
「哀」が一気に押し寄せてきました。
本当に津波のよう。
ただ、悲しさに流されるだけで、葬儀では立っていられず崩れ落ちました。
その様は親戚には異様に見えたみたいです。

そこから、やっと生きる事を考えることが出来るようになりました。
義父が飼っていた亀を引き継ぎ連れてきて、飼い始めたのも良かったのかもしれません。
私は元々生き物が好きだったので、亀の世話をする事が日々の生き甲斐になりました。
散歩をさせ、住みやすい環境作りをし、餌をあげる。
それを日課にすることが、毎日のリズムを作ってくれ、懐いてくる亀に愛おしさと喜びを覚えられるようになりました。
ここでやっと、喜怒哀楽の喜が戻ってきました。
そして、そこから楽が引っ張られてきてくれた感じがします。

怒だけ、なかなか戻ってきてくれませんでした。
そして戻ってきた時は、躁うつの診断へ変わっていました。
怒は厄介です。
一度発生すると、納得出来るまで引っ込んでくれなくなりました。
瞬間湯沸かし器のようです。
相方に対しては、今まで我慢していた事を発散するかの如く怒鳴ってぶつけるようになりました。
それだけ我慢を続けていたのですけどね…。
流石に怒鳴る自分には、その後自己嫌悪になりました。

こうやって喜怒哀楽が元に戻り、コントロール出来るまでに、5年かかりました。
今では、旅行を楽しんだり、友人との交流も仕事もぼちぼちと出来るようになりました。
その代わり、躁うつとなったために、振れ幅は大きくなりました。

躁うつと感情については、また後日に。