くろごまさんぽ

くろごまは躁うつと上手くお付き合いしたいのです。躁うつ病の日常ブログ。

理解者。

うつ病と診断された時、私の変化に一番に気付いたのは母でした。
母は兄弟をうつ病の末自殺で亡くしているので、私の診断にかなりショックを受けたようでした。
寝込む私はすぐ実家に召喚され、そこから一年の療養に入りました。

最初の3ヶ月はひたすら寝る→朝起こされる→縁側で一日中庭を見て猫と過ごす→食事と風呂時々昼寝な、廃人の生活でした。
起き上がれるようになると、異常なほどの執着で趣味に没頭しました。
お金も沢山使った。
ただ、過去に金融機関で働いていたせいか、金銭管理はギリギリの所で出来ていたのが不幸中の幸いでした。

両親はそんな私の変化を日々刻々と見つめ、痩せていく私に手料理と生活の世話をしてくれました。
当時は相方:いりごまさんと別居していたため、本当にこれが助かった。
放置され1人で暮らしていたら、あの時死んでいたかもしれない。
こうして、一年かけて私は寝たきりの生活から何とか復職までこぎつけることが出来ました。
…といっても、結局その仕事は退職せざるを得なかったけれど。

うつ病から躁うつ病に診断変更がされたのも、両親にはかなりのインパクトだったようです。
イメージ悪いからね、世間からしてみたら。
しかし、なってしまったものは仕方ない。
相方よりも何倍も病気に理解を示してくれる両親には、出来るだけ平易な言葉で理解をしてもらえるよう、努力をしました。
薬ひとつの効能から、私の行動パターンの理由や病気からの裏付けまで、沢山説明をしました。
今では私にとって両親は病気の一番の理解者となってくれ、本当にありがたいです。

その両親に対し、ひとつだけ決めていること。
自死はしないことです。
叔父の自殺は、遺された親族へのインパクトは計り知れなかった。
様々な理由もあり、その一番のインパクトを幼少の頃受けたのは私でした。
信じられないけど、叔父が私の枕元に立ち、後は頼むとか言ってたしw
マジ勘弁でした。
でも今は何とかなった、気がする。

因みに、水死はお勧めしません。
人里離れた場所で入水→発見までは、意外と日数がかかります。
発見の頃にはミシュランのキャラクターのようになり、常人の遺族には見られない状態だと、父は申しておりました。
父は、叔父の遺族代表として身元確認をしたので。
そんな最期を周りへの記憶に遺させたくないですからね。

サイレースの眠気にとどめの一杯。
3倍濃い、カフェオレを投入が日課。
でも、睡眠時間2時間だ…今日も昼寝をしてしまいそうです。