くろごまさんぽ

くろごまは躁うつと上手くお付き合いしたいのです。躁うつ病の日常ブログ。

呪いを解いたカウンセリング。

私が鬱→躁うつ病と診断変更になったのは、良きカウンセラーとの出会いがあったからでした。

私の通う病院のカウンセリングは、診察3分(笑)カウンセリング45分くらいの計1時間コースです。
最初はこの45分が苦痛でした。
性格的に沈黙が苦手なタイプで、結果私主導で45分喋り続けることで終わった時には疲れてゲッソリする気分でした。
幸か不幸か、私はコミュ力だけは高いほう。
多分、カウンセラーは当初の私の姿を見て、これだけ気遣って喋り続けたら病気も良くならないわと思っていたことでしょう。

相手はプロのカウンセラー。
傾聴力が高いこともあり、会話はだんだんと苦痛ではなくなってきました。
話す「お題」の出し方聞き方が上手い方で、偶然にも同性で年齢が近いこともあり共感する部分が増えてきたのもありました。
一年を過ぎてきた頃には、かなりリラックスして時間があっという間という良い過ごし方を出来るようになりました。

「お題」は、途中から大抵決まってくるようになりました。
・出勤状況
・仕事状況
・体調について
・総括しての気付き
だいたいはこの内容。
プラス、そこから派生してくる過去のトラウマや経験の話にも及びました。
何せ、全てを話さなければ何が原因の本質なのかわからないだろうと思っていたので、親にも友人にも話せない、自分の中でこじれてしまっていた事もどんどん話しました。
話が枝分かれしてしまっても、この場では気にする事なく、まずは吐き出す勇気を持つ事を大事にしよう、と。
カウンセラーに自分を細部まで理解してもらうのが、この時間の意味のひとつでもあると思います。

そうしていくうちに、面白いように過去の自分と「お題」の問題が繋がるようになってきました。
私の場合、「must」「have to」「should」に囚われた囚人でした。
  〜しなきゃいかん
  〜すべき
  〜あるべき
こればかり。
自分にも周りにも課した呪いのようなものです。
発端は恐らく、厳しく育てられた堅実で頑固な父の性格を反映している気がします。
理想の考えや生き方を追求しなきゃいけない、そんな夢ばかり追ってきた私。
そりゃ、挫折するし折れたら弱いよね…。
周りに押し付けちゃダメだよね…。
基礎は出来ても応用の利かない、勉強と同じだね…。
こんなこと、日常の些細な事にも及んでいると気付けました。

カウンセリングはカウンセラーとの相性はあると思います。
でも、相性イマイチでも話してみるのは訓練なのかもしれません。
たまたま私は相性が合ったけれど、世の中に出ればそんな相手なんて少ないから。
それでも、受け入れてくれる準備のある相手をカウンセラーとして、話すのは大切だろうな。

モヤモヤと心で思うことを言霊にする作業。
言霊が言葉になり会話になったとき、どんな力を発するのか。
その力のひとつは、自分の心に戻ってきて立ち止まらせてくれた、そう思います。
自分の言葉にして、あーそうなんだよなぁーと気付く作業が、カウンセリングですね。
2年くらいで終了しましたが、私には無くてはならない闘病のツールのひとつでした。











反吐が出る。

あくまで私見です。
不快な表現があるのでご注意ください。

TVでは、某偽善チャリティー番組が今年も流れている。
全てが偽善とは思わない。
しかし、番組の売りカットとしているところは意図的な感動とお涙への扇動があると否めない。

100km走ったからどうなの?
タレント追い詰めて人選して、やるしかないじゃないか。
仕事の一環として取り組んでいる彼は真面目だ。
「仕事」なんだから、やるしかない覚悟があるのだろう。
例えば飛び込み営業を一日100件与えられた新人と何ら変わりない。
仕事なんだから、当たり前なのだ。
こなさなければ、次の仕事が与えられないのだから。
そんな事、働く大人は日々晒されている。

聴覚障害者が、打楽器ダンスをしていた。
しかし、聴覚がない人には、音は無い世界が普通。
それを健常者の当たり前という尺度に合わさせてるだけだ。
障害者が失っている五感への挑戦は手放しで拍手したいと思うし、努力は素晴らしいと思う。
しかし、番組の構成が健常者との共生・挑戦を絵図らで表すことであるから、結果は番組と身内の満足にしか映らない。

サポートwのアイドル崩れのギャラをかけて本人達が得る一体感はどれくらい本当に対価に見合っているのだろうか。
それに24時間放送をかける意味があるのか。
そもそも、目的がブレブレのこの番組の一体感って、何だ?

はっきり言って、嫌いだ。
この番組。
もう、時代に合っていないのだ。
いや、目的を履き違えて営利活動する方式が最初から間違っているのだ。

やるなら全てチャリティーでやれ。
企画構成費、出演者ギャラ、スポンサー料、全てをチャリティーで。
そして、毎年収支会計して、使途不明のない明朗会計で。
関わる人の対価は、名誉のみ。
それが嫌ならやるな。

反吐がでるのは、善意という看板を得意げに掲げてるくせに実は一番の目的の金銭面で偽善というところ。
要は印象良く視聴率を稼ぎたいだけやん。
社会に貢献しているんですよ、という偽善仮面をイメージ戦略に使いたいだけやん。

私は「精神」障害者です。
社会的には手続きさえすれば、身体障害者と同じく地下鉄は半額で乗れるし、スマホ代は基本料免除だし、映画は割引で観られる。
そんな恩恵、社会の圧抜きのポーズだと思っている。
某人権団体に差別ガーと叫ばれるから、合わせただけ、みたいな。
女性差別反対ー、みたいなものの延長。
実情は五体満足なだけ、物理的見ため的に健常なだけで、本当に障害ある部分へ差し伸べられる手は本当に少ないのに。

私にはわからない。
足が悪く歩けないのと、毎夜安息して眠れず死にたいと思う日々を送るのと、どちらが大変で、どちらの方が幸せなのか。
いや、「マシ」なのか。
どちらも健常ではないのに、なぜ物理的な障害のみスポットが当たるのだろう。
イコール、皆の目に見えない障害は大した障害ではないと思われているのだろう。

残念ですが、実情ですね。












ラピッドサイクラーの時間管理。

今週は月曜は活動的だったのに、そこから3日間寝込んでました。
その3日間の間にとても大切な会社の予定やデイケアデビューがあったのに、何も出来ず…。
しかし、昨日からは穏やかに過ごす事が出来ている。
朝から掃除をしたり、裁縫をしたり、時間を有効に使えている。

これが本当に困ります。
予定が立たない。

私は近しい友人には病気をオープンにしています。
この病気とは、症状は、こんな迷惑をかけるなど、説明しました。
それでも付き合い続けてくれている友人には本当に感謝しています。

家族には尚更さらけ出しています。
夕方、ある時間を過ぎて私が台所に立っていなければ、各自食べてもらうようにしたり、寝たきりはほっておいてもらうという、暗黙のルールが出来ました。

しかし、対社会となるとこうはいかない。
約束があればそれは必須。
時間に遅れれば、相手の時間をも無駄にしてしまう。
生来の生真面目さが仇となり、必要以上のプレッシャーを自分に与えているのだと思います。

ひとつ、思う事。
今の段階の自分には、時間管理が一番のプレッシャーだということ。
体調さえ落ち着いていれば、自分だけの自由なスケジュールを詰めていても平気。
昔のようにこなせます。
しかし、対人を含むスケジュールを組むと…一気に調子を崩す。

もう、サラリーマンとしては無理なのかな?とか思い残念になる時があります。
いや、まだ諦めたくない!のですけどね。

新型うつと自分の差は?と思う事もしばしば。
もしかしたら、自分はもう寛解していて、甘えによる不調なのでは?と思う事もあります。
確かに、プレッシャーのない自分だけの予定は苦でないことが多い。
ただ…人間関係が絡むと、気のおける友人の約束でさえダメな時が多々あります。
寝込んだら、そこで終了…チーン。

自分がわからなくなる時が多いです。
これは、甘えなのか、病気なのか、何なのか。
性格からして、甘えがあったとしても人に迷惑をかけるまでのことはしないはずなのです。
それは、自分の立場のためにも。
そんな外面いい私なのが本来なはず。
ならば、なぜ、こうなんだろう…。
自分には、とことん甘いアマチャンとわかってますが、病気だと仮定したとしても、どこまで自分を許しどこまで自分を奮い立たせたらいいのか、わからなくなりました。

きっと、この病気を長く病んでる方は同じ思いの方がいらっしゃるんじゃないかなぁ。

こんなブログを書きながら、今日はノープランなので一杯やりながらな甘々な時間を過ごしてます。
これが明日への充電となればいいな。






お薬履歴。

私の主治医はとても意見を聞き入れてくれる方です。

投薬方針について、今までかなり私の考えを受け入れてくれています。

 

パキシルジェイゾロフト

うつ病診断の時にはまずパキシルが処方されましたが、当時は離脱症状精神疾患への不安から変更を願いました。

じゃぁということで処方されたのが、ジェイゾロフト

私にとってはこの判断が吉と出ました。

薬が自分にとって合っていたようで、飲みはじめから5年、きちんと役割を果たしてもらい卒薬出来たと思っています。

 

ラミクタール。

これはずっと飲み続けていましたが、躁うつの波のスパンの変化に伴い増量(MAX200㎎)した途端、初めて薬疹が出てしまい強制終了…。

じんわり効いている?底上げ感を感じていましたが、薬疹にガクブルしたのでもう飲むのは嫌だなぁ。


エビリファイサインバルタ

この2つは結構長く飲んでいます。

エビリファイについては、時々の調子に合わせて量の変更を行っても私には負担が少ないみたいで、これも底上げ要員。

サインバルタは…これは私の人生を変えた薬です。

何故なら、これを飲みながらの妊娠はリスクが高いと聞いたから。

これにお世話になっている間は、小梨を貫かないといけないと思っています。

こんな病気を次世代に影響させたくない想いが強いのです。

といっても、この病気で飲んでいる薬はどれも妊娠にはリスクが高いでしょうね…。


睡眠薬あれこれ。

睡眠薬というのは、強い・弱いの尺度が一般的に言われてるけど本当は効く時間が長い・短いと言うのが正しいそうです。

その点で、私はまだ適正な長さの睡眠薬を手に入れられていません。

投薬しても常に2〜3時間の短時間睡眠で、中途覚醒ばかり。

一連とした睡眠が欲しいと思う。

といっても、それが計算出来るので、出勤時間を考慮すると何時に寝れば何とか合計何時間睡眠出来ると分かりやすいのはメリットです。

ロラメットは一番愛用しており、私は寝付くまでに15分くらい、2〜3時間後にスッキリ目覚めるという優秀さです。

それにサイレースを加えると、一度目が覚めますが計5時間くらいは寝られます。

仕事をしている時は朝に残る薬は出来るだけ避けたく、結果この組み合わせで落ち着いてしまいました。

ただ、数日〜2週間で溜まった疲れにより鬱の過眠に入るので、本当はもっと日々寝ないといけないんでしょう。


現在投薬は、エビとサインバルタ睡眠薬のみとなりました。

減薬してまだ1〜2ヶ月のため、判断は先送りとなってますが、とりあえずの生活(朝起きれる、寝込む事が減った、不眠から解放された)が出来ているのでマルとしてます。

でも、どの薬が悪さをしたのか、かなり太りました。

投薬前に比べると、15〜20kg…とほほ。

減薬したら痩せてくるかと思いきや、一度落ちた基礎代謝はなかなか戻らないんでしょうね。

元気な自分を選択するならば、ダイエットは慎重にならないといけないかもしれません。

何かひとつの歯車の噛み合わせが悪いことから、病気が始まってるのだと思うと、なかなか理想の生活を送るのは難しいと思います。





 

 

感情のコントロール。

喜怒哀楽。
うつを発病してすぐは、すべてを失っていました。
何もない空間にぽつんと置かれている感じ。
無の境地、と言いましょうか。
でも孤独を感じられる程の感性も失っていました。

喜→どうでもいい
怒→取るに足らない
哀→響いてこない
楽→なにそれ?

こんな感じでした。
ただただ、自分が生きているのが申し訳ない。
感情さえ持つのは許されない、優しささえ持つことも出来ない、そんな風に思っていました。

喜。
これは、義務的にポーズを見せることは出来ていました。
普段から私は感謝を沢山伝える性格でしたので、反射的に身体が動いていたのだと思います。
でも「ありがとう」とは反射的に言えても、本当に喜べないのです。

怒。
怒りにパワーを使う程、怒れる事は殆どありませんでした。
全てがどうだっていい。
そうなると、怒りというのは他へのこだわりから生まれる感情なんだろうと思います。

哀。
これが一番厄介でした。
自分に対して悲しい気持ちは溢れているのに、涙は流れない。
でも、誰かが亡くなったり、家族やペットに不調があったりすると、我を忘れて泣けてしまう。
これが一番始めに回復した感情でした。

楽。
ただ日々を惰性で過ごすと、楽しい事なんてありませんでした。

発症し限界を迎えてから3ヶ月は寝たきり。
日々をやり過ごすだけ。
言葉を発するのも何かを考えるのも最低限で、視点は定まらずでした。
食事も砂を噛むような味覚しかなく、タバコと水分を補給するだけでしたので、どんどん痩せていく。
そんな毎日でした。

そんな私に感情が初めて戻ったのは、病床に伏せっていた義父が亡くなったところからでした。
記憶を辿ることさえ出来ていなかったのが、義父との思い出や感謝が一気に溢れてきました。
「哀」が一気に押し寄せてきました。
本当に津波のよう。
ただ、悲しさに流されるだけで、葬儀では立っていられず崩れ落ちました。
その様は親戚には異様に見えたみたいです。

そこから、やっと生きる事を考えることが出来るようになりました。
義父が飼っていた亀を引き継ぎ連れてきて、飼い始めたのも良かったのかもしれません。
私は元々生き物が好きだったので、亀の世話をする事が日々の生き甲斐になりました。
散歩をさせ、住みやすい環境作りをし、餌をあげる。
それを日課にすることが、毎日のリズムを作ってくれ、懐いてくる亀に愛おしさと喜びを覚えられるようになりました。
ここでやっと、喜怒哀楽の喜が戻ってきました。
そして、そこから楽が引っ張られてきてくれた感じがします。

怒だけ、なかなか戻ってきてくれませんでした。
そして戻ってきた時は、躁うつの診断へ変わっていました。
怒は厄介です。
一度発生すると、納得出来るまで引っ込んでくれなくなりました。
瞬間湯沸かし器のようです。
相方に対しては、今まで我慢していた事を発散するかの如く怒鳴ってぶつけるようになりました。
それだけ我慢を続けていたのですけどね…。
流石に怒鳴る自分には、その後自己嫌悪になりました。

こうやって喜怒哀楽が元に戻り、コントロール出来るまでに、5年かかりました。
今では、旅行を楽しんだり、友人との交流も仕事もぼちぼちと出来るようになりました。
その代わり、躁うつとなったために、振れ幅は大きくなりました。

躁うつと感情については、また後日に。


















デイケア入所面談。

説明会と面談を終えてきました。
正直、通うのは気が重い…。

通うデイケア施設は、かかりつけ医の併設です。
こじんまりとした心療内科だけれど、院長が熱心な方のようで、徐々に規模を拡大しています。
トライワーク(生活リズムと日常生活の回復が目的)と、リワーク(社会生活復帰が目的)のプログラムがあります。
恐らく、50名程度の規模の施設です。

今回デイケアに通わなければいけないのは、復職の一番の尺度として産業医に評価されるからです。
休職中、毎日図書館に通って感想文を書いて下さいなんて無理を言う産業医だからね。
そんなの健康でも難しいよ。
一人でどんなモチベーションを保ってやるの?と聞きたくなりました。
石にかじりついてまで、アウトプットを読まれるものじゃないものにやる気にはなれませんでした。
だから、最短最良の道として、デイケア通所を選びました。

デイケア通所に気が重いのは、色々とあります。
以前、同じデイケアに一度通った事があります。
その時は今よりも制度やルールがはっきりしておらず、様々な症状の人が混在する時間が多かったです。
それもあり、プログラムや休憩でその方々と交流するうちに、回復しつつあった自分の体調や心境にマイナスの変化が現れてきてしまいました。
自傷痕を見たり、薬でかフラフラした人を見たり。
勿論、彼等は通所出来ているから回復期や停滞期にあるのでしょうし、それでも前向きに通所する意思は素晴らしいと思いました。
しかし、当時は自分の症状が酷くても「心の風邪」程度の認識でしたから、精神疾患を一面でしか見ておらず、現実を見て衝撃を受けたのは確かでした。

自分はこのカテゴリーに入っているのか。
下手したら、この方よりも悪化する可能性もあるのか。
そんな事を思うと、会社からや家族から、友達からもこういう悪い状態のイメージを持たれているんだろうか。
そんな事を考え、悲しくもなりびくびくするようになりました。

だから程なくして、同じサラリーマンとして社会復帰を目指す数名の方と連絡先を交換し、なるべくその方々と悩みを話すようにしていました。
やっと這い上がれてきた自分が、同じ志と環境を持った人達と共に元の生活に戻れるようになるように。
ルールやプログラムを拒否したこともありました。
申し訳なかったけれど、それだけ自分はがむしゃらに元の生活を目指したかったからです。
最後は自分でしか、自分を守れないと思ったからでした。

今回はどうなることやら。
でも、今の職は絶対に手放せない。
アラフォーで女で病気持ちで転職する事の大変さは、経験してきたので。
背水の陣でやるしかないのです。



いい顔するのは辛い。

いい顔しぃ。
カッコつけ。
どちらも自分を偽り大きく良く見せる事。
それにはパワー消費を伴います。
病気を発症して以来、私にはそれをするのが簡単に出来なくなりました。
ありのままでないと、生きられないのです。
だから、自分のプライベートの人間関係は、ありのままを受け入れてくれる人としか付き合わなくなりました。

些細なひとつの例ですが。
うちの夫婦は2人とも喫煙者。
しかし、義実家の親戚の集まりでは、タバコが吸えません。
というのも、皆がかなりの嫌煙家。
相方は10代からタバコを吸っているくせに、それをずっと隠しています。
そのとばっちりで、私も隠さざるを得なくなりました。
一度、義姉に相方がタバコを吸っていることを私がバラしてしまい、何故か義姉に嫌味を言われた結果、口を滑らした事をかなりの勢いで相方に責められました。
それ以来、義実家達と会う時には、タバコの匂いを消すためにシャワーを浴びて歯を磨いてからでないといけないのです。

その一件が私にはかなりのインパクトとストレスを与えました。
私の病気は義実家にはオープンにしているけれど、タバコひとつの例をきっかけに、義実家の面々とうまく会話が出来なくなりました。
会話の何かの拍子に、それがバレてしまうのではないか。
そしてまた、それを相方に責められるのではないか。

相方との夫婦生活は長く、発症の原因のひとつに相方の存在と関係があったせいもあります。
(それはまた追い追い語るとして…。)

タバコを吸う事で、親達に余計な心配をかけたくない、嫌味を言われたくないという相方の言い分に付き合わされることで、何事もオープンに生きたい私の生き方を曲げざるを得なくなっています。
彼が親に心配かけたくない「気持ち」は、わかるんですけどね…。

別にいい顔しなくたっていいのに。
心配をかけあうのは、親族なら他にもお互い様で色々とある。
タバコひとつで、何故そこまで制約を受けなきゃいけないのだ?
私は愛煙家。
依存性と言われればそれまでだけれど、緊張やストレスを受けた時の即効性のある頓服となり得るのです。
リーゼやソラナックスよりも。
義務を果たした社会生活を送ってるのに、何故マナーを守った喫煙が制約されるのだ、と。

我慢くらいできないの?とか、色んな意見はあるかもしれません。
といっても、勿論子供の前では吸いません。
彼らには、タバコの良し悪しは分からないから。
でも、最低限、自分が守れる事以外を守り、それ以外は自分を守ることに精一杯な私。
何故、法律もマナーも守った行動をああまで責められ強いられるのか、わからない。

すいません。
例えが身内の問題を吐き出してるだけになっていますね。
論点がすり替わってしまってますね…。

カッコつけ。
病気じゃなきゃ、普通にできてた。
苦でもなく、出来てた。
多分元々の気質なんだろう。
どんな人数の飲み会でも段取りしセッティング。
仕事では仲間の悩みを聞き、人間関係情報を元に根回しをし、相手に良い嘘をつき、みんながストレス少なく仕事を回せるようにしてきた。
いつもおしゃれに気を遣い、クールを装ってた。
それが出来る自分に、少なからず酔ってた。
そうなり続けたかったけど、もう無理。

ありのままの自分、裏表のない自分を少しずつ出せるようになってから、こんなに生きるのが楽で今の自分に合ってると思えるようになれました。
ただひとつ、ありのまま生きるためのルールを自分に課しました。
自分が出来る範囲の思いやりだけは、忘れないこと。
それだけは、無くしちゃいけないと思えるので。
躁の時は色々と走り続けてしまうので、なかなか出来ていないかもしれないけれど、どこかで気を付けておきたいところです。
それもブレーキのひとつになるかもしれないから、ね。

出来ることなら、仕事でもありのままでいたい。
難しいけど。
でも、オープンにしてしまった今は、もう開放してもいいかな…。